~人生の転機でアドラー心理学に出会い、私は変わりました~
- 私がアドラー心理学実践者としての道に入ったきっかけ、それは最愛の母との別れでした。
- 母は更年期障害から心の病に苦しみました。
- 朗らかで毎日鼻歌まじりに家事をしていた母が、ある時から急に人生を悲観し始めたのです。
- 心弾む鼻歌と笑顔は母から消えてしまいました。
- 大好きな母に元気になってほしいという一心で、私は心理学の扉を開けました。
- 母の状態は一進一退で、看病と母の話し相手に明け暮れながら、心配と不安に押しつぶされそうな毎日を過ごしました。
- そして、ある寒い冬の日、
母はとうとう自ら旅立ってしまいました。 - 自分の無力さを思い知り、私は自らを責めました。
- あんなに勉強したのに、何もできなかった。
- その悲嘆から、私は心理学の教科書を全て燃やしてしまいました。
- 母を亡くした悲しみが癒えぬまま半年ほど過ぎた頃、仕事先の研修で出会ったのがアドラー心理学でした。
- 「人は変われる。自分が変わろうと本気で思えば変われる。変わらないのはあなたが変わらないでおこうと決めているだけ」
- この言葉に、私は雷に打たれたような衝撃を受けました。
- 私のことだ、と感じたからです。
- 「私はダメ人間」
- 「こんな不幸を背負って幸せな気持ちになんてなれない」
- そう決めつけ、悲しみを反芻し、自分を責め続け、そこから一歩踏み出すために何もしていませんでした。
- もっと自分を大事にする、家族や友人を思いやる、など本来やるべきことから逃げ、悲しみの世界の中心で言い訳ばかりしていたのです。
- それに気づいた時から、私の人生は変わりはじめました。
- いいえ、人生が変わったのではなく、私自身が変わったのです。
- 再び心理学の道に入り、アドラー心理学について学びを深めた私にとって、”悲しみ”は心の中の「不動のセンター」ではなくなりました。
- その悲しみは決して消えないものですが、心の中に居場所を見つけ、そこから私自身を見守る存在に変化しました。
- そして今の私を動かす力の源となったのです。
- 人生で何かが起きた時、人は「転機」という名の、階段の踊り場のようなところで足踏みします。
- 進むか、戻るか、立ち止まるか……
- 私の「転機」は母の死でした。
- 立ち止まり自分を責めていた私は、アドラー心理学と出会い、一歩踏み出せました。
- アドラー心理学は「人を幸せに導く」英知を私に与えてくれたのです。
- この経験から、転機にいる方を応援したいと思うようになりました。
- 今、心から笑えないでいる、もがいて苦しんでいる、でも平気なふりをしている方々に寄り添いたい、と。
- 自分の人生を引き受けて、自分の人生を生きましょう。
- あなたが人生に笑いかければ、人生もあなたに笑いかけるから。
- 勇気をその手にたずさえて、自分らしくはじめの一歩をふみ出すのです。
- 私がお供いたします。
- 勇気のアクセラレーター金井津美より
初期に出会った心理学のほとんどは「人はなぜ病むのか」ばかり教えており、「人はどうしたら幸せになれるか」という肝心な部分は分からず悶々としながら学ぶ日々でした。